奥座敷(おくざしき)では、二人の男が対座しています。一人は中国の革命家で、のちに中華民国という国を建てる孫文。もう一人は宮崎家の末子寅蔵(滔天)です。広州で最初の武装蜂起の計画に失敗した孫文は、明治28(1895)年、日本に亡命してきました。そして再起を図るため、ハワイからアメリカ本土に向かい革命の同志を求めましたが、あまり成果はありませんでした。
すでに清国政府は孫文を懸賞金1000元のお尋ね者としており、ロンドンでは清国公使館内に約2週間も監禁される危機にあいました。明治30(1897)年9月、横浜に再来した孫文は同志の陳少白宅で宮崎滔天と初対面し、同年11月滔天と一緒に荒尾村のこの生家にやってきたのでした。この座敷でも中国の革命をめぐって、いろいろなことが語り合われましたが、お互いに言葉が通じませんので、ほとんど筆談でなされました。

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