荒尾市制施行80周年を記念して、市民の皆様に荒尾市にまつわる往時のエピソードや想いを振り返っていただくことを目的に、「80文字で伝える荒尾市への感謝の言葉」を募集したところ、22作品の応募がありました。
頂戴したすべての作品を掲載(80文字以内になるように一部修正)しますので、これまでの荒尾市の歩みに想いを寄せていただければ幸いです。たくさんのご応募ありがとうございました。
応募作品
作品 | 氏名(ペンネーム) | |
---|---|---|
1 |
娘は中学も高校も不登校でした。そんな娘と私の緊張を緩めてくれた海。すべてを包み込む干潟の夕焼けキラキラ光輝く満月の海。娘は今忙しくママしてます。有り難う荒尾の海 |
緒方 うみ |
2 |
昭和39年までの20年間、市電が走り、私の姉が高校への通学で利用していたのを覚えている。あの時の電車の軌道は自転車道になり、今でも通学路として親しまれている。 |
こっこちゃん |
3 |
海鳥が舞う美しい干潟をたたえた有明海が織りなす雄大な自然のもと 人々が本に親しみ、ICTを活用し、自ら創造する未来 生きとし生けるものの豊かな暮らしを育む荒尾 |
よいとまけ |
4 |
私は荒尾市で生まれ育った18歳の大学生で、今は都内の私大に通っています。一人暮らしで不安な時もあるけれど、荒尾市の話題を聞くと凄くホッとします。故郷に感謝です。 |
ゆうしゃ |
5 |
2歳の息子がいます。ゴミ収集車が大好きで収集日を楽しみに外で待ってます。作業員の方全員「のあ君、おはよう」と毎回笑顔で、退職された運転士さん有難うございました。 |
のあ君 |
6 |
大きなまーるいお風呂 同じお家が並ぶ社宅 お出かけは、ちんちん電車に乗ってお買い物 そんなたくさんの人に守られて、私は今、二児の母となりました この街に、感謝 |
この街が好き |
7 |
私の父は、荒尾市で、40年ほど小さなレストランを経営していた。たくさんの方が、料理を食べに来ていた。そんな人々の交流が出来たのは荒尾市のおかげである。ありがとう。 |
ツミヨキ |
8 |
生まれも育ちも荒尾。母に手を引かれ市営バスで通った保育園。楽しみだったこくんぞさん…そんな母も本市と同じ80歳を迎えた。思い出の詰まった荒尾が大好き❤ありがとう❤ |
にゃんずママ |
9 |
幼い頃に炭坑列車に乗って四ツ山に買い物や遊びに行ったことを思い出します。今では考えられない位のんびりとした時を荒尾で過ごしたことが懐かしく、良き思い出です。 |
荒尾っ子 |
10 |
荒尾市に10年前、楽団が出来た。名前が荒尾市の〒864(やろうよ)とは洒落ている。これからも楽しく元気な演奏で、人の気持ちを明るくしてくれると期待している。 |
うさぎ |
11 |
子供が生まれて掲げた鯉のぼり。使わなくなり、箪笥に眠っていたが、岩本橋で息を吹き返した。たくさんの鯉のぼりと一緒に悠々と泳ぐ姿は仲間が出来たようで嬉しい。 |
はらぺこめがね |
12 |
荒尾市民病院で産まれて52年。今では3人の子の母となりました。荒尾市はどんどん子育てしやすい環境に変わりました。伸びゆく我が故郷にたくさん恩返しをします‼ |
谷本 ひとみ |
13 |
42年前、自転車道路が私の通学路。それは市電跡の有効利用で私を車から守ってくれました。今は?炭鉱電車跡の散歩道がコロナ疲れの私に癒しをもたらしてくれています。 |
トキ色の薔薇 |
14 |
荒尾に越して6年、子育てをする中で沢山の人や場所との出会いがあり、お世話になってきました。全てに感謝し、これからも大切な家族と大切な時間を過ごしていきたいです。 |
ふかあゆ |
15 |
幼小期の思い出は炭鉱電車で県境に出掛けたことである。姉妹でかっぱ岩を探すのが唯一の楽しみだった。自然に触れて行くうちに荒尾への郷土愛が芽生え大好きになった。 |
チャマさん |
16 |
「LINEで報告」が今年新設。自宅横の側溝に毎年堆積する土砂の画像をLINEで送り不具合を報告しました。翌日、市の担当の方で作業は完了。ありがとうございました。 |
新町の富生さん |
17 |
幼い頃、親に連れられ、競馬場、グリーンランド、ダイエー、ビッグウェイ、県境の商店街などに行ったことが良き想い出です。これからも皆んなの笑顔があふれる街に。 |
幸せいっぱい |
18 |
生まれ育ち今も住んでいる荒尾。IT産業の進歩についていけない私ですが、小岱山、梨の花、節頭、干潟、四山神社、荒尾駅、万田坑、子供の頃から変わらない風景に感謝です。 |
平川 美惠子 |
19 |
荒尾市と同じ私も八十歳。荒尾市に生まれ、豊かな有明海の海の幸で育ちました。新しい市民病院、道の駅も楽しみです。大きな災害もなく、自然に恵まれた荒尾市に感謝! |
M.K. |
20 |
県堺大綱引きは2011年に21回で幕を閉じた。花を添えた荒尾高、有明高のブラスバンド、四ツ山婦人部のさのよい踊り等みんな若かった。懸命だった。これからも一致団結。 |
久間 健一 |
21 |
八十周年の八は末広がり。クレーンの動きで活気が増す市民病院、給食センターの建設現場。何か良いことが起こりそうな期待感。競馬場跡地周辺が整備され、住みたい町に! |
久間 健一 |
22 |
ふるさとは遠きにありて思ふもの 遙か仙台の地へ来てしまい、改めて荒尾の人の良さ、歴史・自然の美しさをしみじみと味わっています。齢90歳、ただ感謝するのみです。 |
森島 廣二 |