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宮崎滔天とあの俳優さんとの意外な繋がり(NHKファミリーヒストリーで紹介されました)

2022年8月30日

「革命の志士」の家庭事情

 宮崎滔天といえば、世界革命、その第一歩としての中国革命に生涯を捧げた人物であり、孫文も自伝で高く評価した人物。
しかし、その生活はといえば、「革命のための金は出来るけれども、妻子を養う金は出来ない」として、兄・民蔵から財産分与された先祖伝来の土地も、次々と革命のためのお金となって消えていきました。
 革命運動のため滔天は東京で生活するようになり、1905年には妻の槌、息子の龍介・震作も上京。しかし当然、家族の生活は厳しいものでした。滔天家に定期的な収入は無いのです。槌は内職をして家庭を支え、そして夫の革命運動のため、家に出入りする中国人革命家たちのもてなしもしました。

「革命の志士」も世間一般からすれば要注意人物

 そんな中国人革命家の梁山泊ともいう様相を呈した宮崎家には警察の監視が…。清王朝は孫文をはじめとする中国人革命家の日本での活動に警戒しており、彼らの活動を制限するよう日本政府に求めていたのです。警察の人々は、滔天の生活の厳しさを知って、「月々○○円の金をやるから」と中国人革命家たちの情報を売るよう滔天に持ちかけることもあったほど。
 しかしそんな中で一人、困窮する宮崎家に親身になってくれた刑事がいました。槌が語った「亡夫滔天回顧録」にその一節が出てきています。

 「孫さんが原町の家に来られてから、小石川の富坂署からよく来る高等刑事は北村利吉という人でしたが、しまいには私共の貧乏を見兼ねて、来る時にはいつでも土産に茶の袋を提げて来ました。私共の家には客が来ても出す茶がなかったのです。」

 (『亡夫滔天回顧録」『宮崎滔天全集 第五巻』515頁)

「亡夫滔天回顧録」515頁.jpg

「革命の志士」を支え苦労する妻と、一人の刑事のちょっと心温まるお話

 刑事の名前は、北村利吉。当時滔天が住んでいた小石川原町(現白山)を所管する富坂警察署の特別高等警察でした。余程その気遣いが身に沁みたのでしょうか、このことを槌は後に短歌にもしています。

 北村警察吏 茶もなき我等を見て 帰り道に買って 送り付たり、めつらき((ママ))しんせつの警官、永く其後もたへすおとつれたるなり

 おりからに 知らぬおみなの とひにけり 茶菓に見へたる 探偵(おんみつ)の心ざし

 実はこの北村利吉さん、俳優の北村和夫さんの祖父であり、そして同じく俳優である北村有起哉さんの曽祖父なのです。北村和夫さんといえば、滔天の浪花節語り時代を劇化した「夢 桃中軒牛右衛門」(脚本宮本研氏)で滔天を演じたお方。当時のパンフレットの中で、北村和夫さんは祖父の利吉さんが劇に登場することに触れて「滔天をやることになるとは思わなかったんで、因縁といえば因縁だけど、ほんとはぼくが北村高等刑事をやればとかったんじゃないかな。」と語られています。
 そしてこの度、NHKの番組「ファミリーヒストリー」で北村有起哉さんが登場されることになり、その家族の歴史として、槌と利吉さんとの交流の一幕が紹介されました。職務を果たす一方、一人の人間として、利吉さんが滔天家にかけてくれた思いやり。こうした様々な人々の想いや支えがあって、滔天は革命運動に邁進することができたのでした。

北村和夫氏サイン色紙 宮崎兄弟資料館所蔵.jpg
宮崎兄弟資料館に展示している北村和夫さんのサイン色紙

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