ここから本文です。

万田坑の歴史

公開日:2016年2月12日

万田坑は宮原坑(大牟田市)の南約1.5キロメートルの位置に開かれ、三井の総力を挙げて整備された、わが国最大規模の竪坑です。明治30年(1897)から同35年(1902)にかけて作られた第一竪坑と、明治31年(1898)から同41年(1908)にかけて作られた第二竪坑とからなります。

大正から昭和にかけて、各施設を電化するなど設備や機械も充実し、出炭量も増大していきました。大正2年(1913)~昭和6年(1931)の19年間に930万8340トン(年平均66万トン)、昭和2年(1927)~20年(1945)の19年間に1643万126トン(年平均86万トン)を出炭しています。

昭和26年(1951)、採炭効率が低下したために採炭を中止し、第一竪坑などの諸施設が解体されました。しかし、その後も第二竪坑は揚水や坑内管理のため、平成9年(1997)3月まで施設が維持されていました。

現在、第二竪坑・ヤグラ、巻揚機室、倉庫およびポンプ室、安全燈室および浴室、事務所、山ノ神祭祀施設などが保存されています。これらは、わが国の近代化に大きな役割を果たした三池炭鉱に現存する明治・大正期における最大級の施設であり、当時の優れた炭鉱の技術を伝えているため、平成10年(1998)5月1日、国の重要文化財に指定されました。

また第一竪坑跡、汽罐場跡、坑内トロッコ軌条、職場、プラットホームなどが遺存し、炭鉱のシステム(採炭、選炭、運炭)が分かるため、炭鉱施設としてはわが国では唯一、平成12年(2000)1月19日、国史跡として指定されました。

平成20・21年(2008・2009)で、第二竪坑ヤグラや巻揚機室などの保存修理が終了したため、平成22年(2010)4月25日より、一般公開が開始されました。

そして、万田坑を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は、平成27年(2015)7月に、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。

表:万田坑関係年表
月日 出来事
明治30年 11月23日 第一竪坑開削着手
明治31年 5月16日 「コルニッシュ」式仮汽罐1基を設置して、90馬力の「ジャックエンジン」運転開始(汽罐使用の最初)
5月23日 万田・宮原間専用鉄道開通
6月19日 第一竪坑の開削を一時中止(鋼製本ヤグラ組立着手)
8月4日 高さ162尺、径8尺6寸、底12尺10寸の煉瓦(レンガ)煙突築造着手(同年12月12日完成)
8月24日 第二竪坑開削着手(32年2月24日~35年7月29日は建設中止)
明治32年 1月30日 鋼製巻ヤグラ竣工
4月1日 「デビー喞筒(ポンプ)」原動機室着手(33年7月23日完成)
5月 万田坑開削中、米国製49馬力複動双筒擬縮汽機空気圧縮機を初めて設置(團理事長が米国出張の際に購入)
明治33年 2月末 英国製「デビー喞筒(ポンプ)」3台の据え付けが完了し、運転開始
11月16日 鍛冶小屋建設に着手(34年8月15日完成)
明治34年 9月 熊本県監獄三池出張所廃止
明治35年 2月12日 第一坑着炭
11月13日 第一坑昇側竪坑巻揚機(三池製作所製)を設置。11月26日本運転開始
11月27日 出炭操業開始
明治36年 3月29日 開坑式挙行
3月 第一坑操業開始
8月 選炭機運転開始「コックス式」。坑口に3000立方呎(フィート)三池製作所製「スクリュー扇風機」を設置。坑外空函運転に「クリーパー」を設置
明治37年 2月26日 宮原坑より移設の「デビー喞筒(ポンプ)」が運転開始。第二坑着炭。同年3月1日竪坑の穿掘終了(41年3月操業開始)
明治38年 10月 第二竪坑に20万立方呎(フィート)・三池製作所製「ウォーカー」式汽機扇風機を設置
明治39年 10月7日 第一坑卸側第二竪坑巻揚機を据え付け(40年4月6日に運転開始)
明治40年 10月11日 ガス爆発
明治41年 1月 坑内電車を使用(坑内電車施設の始め)
4月 第二竪坑ヤグラ完成(42年2月から第二竪坑巻揚機の運転)
明治42年 2月 第二竪坑に竪坑汽機付巻揚機を据え付け、運転開始
3月 万田・三池港間専用鉄道運炭開始
明治45年   万田・三池港間専用鉄道が電化
大正7年 9月4日~10日 暴動事件起こる
大正12年 3月 坑外排気英国トムソン社製「タービン」800キロワット発電機を新設し、万田発電所と称す(運転開始は5月)
5月 万田発電所を新設(排気を利用)
6月 坑内にて人車、電車、軌道の使用を開始(6月4日使用認可)
大正15年 7月 排気竪坑口に「ターボ」式扇風機を設置
昭和5年 3月29日 万田坑で事故
6月 坑内の馬引運搬を廃止
昭和8年 6月 坑底排気タービン喞筒(ポンプ)の動力を、電動機に変更する
上季 事務所を第一坑付近から第二坑付近に移設。荒尾市側と大牟田市側を結ぶ地下道が開通
昭和9年 5月 「デビー喞筒(ポンプ)」の解体に着手
昭和11年 1月7日 排気竪坑の開削に着手する
昭和13年 4月5日 排気竪坑が開削着炭する
5月13日 排気竪坑が操業を開始する
昭和26年 9月1日 万田坑と三川坑統合。万田坑には240人残留
昭和29年 6月 万田第一竪坑ヤグラを解体。ヤグラは北海道・芦別鉱業所へ
昭和30年代   汽罐場を解体(1号、3号汽罐場)
昭和30年 2月 万田配電所が移転
昭和31年 9月 大浦坑が万田坑所属となる(当時は宮浦坑所属)
昭和36年   このころ、人員は105名
昭和37年 6月 万田坑に、太陽熱温水槽を設置
7月 万田分院に、太陽熱温水槽を設置
昭和46年 12月 万田坑のランカシャーボイラーを廃止し、小型重油ボイラーに取り替える
昭和49年 7月 万田坑外が放火される
昭和50年 8月 万田第二竪坑のヤグラを修理
9月 万田坑の旧式ボイラーを解体。大物倉庫解体。物品は中央倉庫に移設・保管する
昭和51年 2月 万田坑の煙突を解体
9月 万田第二竪坑の巻きドラム木(欅材)72本を取り替え
昭和52年 12月 万田第二竪坑の巻揚機室の基礎コンクリートを打ち直す。ヤグラ下の座張りのコンクリートも同時に打ち直し、大工事となる
昭和53年 3月 万田第二竪坑巻揚機の36ミリ径ロープ2本を張り替える
6月 万田坑外に小型巻揚訓練所を設置
11月 万田坑用のケージ1台を整備
昭和54年 6月 万田坑に新品ケージ1台入荷、入れ替え
昭和55年 1月22日 万田第二竪坑のワイヤーロープを取り付け
昭和58年 5月 万田第二竪坑ヤグラの中段梯子を修理
昭和60年 8月 万田第二竪坑ロープを取り替え
昭和61年 9月22日 万田第二竪坑ヤグラのガーター1本を取り替える
平成9年 3月 第二竪坑の坑口閉鎖
平成10年 5月1日 国重要文化財に指定
平成12年 1月19日 国史跡に指定
3月31日 荒尾市教育委員会、「万田坑整備活用基本構造」を策定 
平成19年  2月1日 万田坑保存修理事業開始
平成21年  1月5日 万田坑を含む「九州・山口の近代化産業遺産群」がユネスコ世界遺産暫定一覧表に記載
平成22年 3月31日  万田坑保存修理事業終了 
4月25日 万田坑一般公開開始
平成26年 1月17日 万田坑を含む「明治日本の産業革命遺産」が、世界遺産候補として日本政府からユネスコへ正式に推薦
10月2日  イコモス(ユネスコ世界遺産員会の諮問機関)による万田坑現地調査
平成27年 5月4日 イコモスから「明治日本の産業革命遺産」に対して「記載」勧告
7月5日 世界遺産委員会において「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が決定
7月8日 世界遺産委員会において「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録

 

当時の写真

写真A:建設中の万田第一竪坑(明治31年頃)

写真B:これから仕事場へ(明治40年頃の風景)

写真C:石炭は三池港へと運ばれました(大正期の万田坑)

写真D:巻揚機を操作する青年が草履ばきなのに注目(大正期の第一竪坑巻揚機)

写真E:整備されていく町並み、手前にはプールも見られます。(昭和14年頃)

写真F:採炭中止後、第一竪坑南側の施設は解体されました。(昭和26年~29年頃の写真)

写真A~Eは「三池鉱業所沿革史」から収載

写真Fは三井鉱山(株)から提供

アクセシビリティチェック済み

このページは荒尾市独自の基準に基づいたアクセシビリティチェックを実施しています。 › 「アクセシビリティチェック済みマーク」について

荒尾市AIチャットボット
荒尾市AIチャットボット

ページトップへ

チャットボット

チャットボット

閉じる