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万田坑story

公開日:2010年8月11日

ここでは万田坑で実際に作業された方の感想や、エピソード等を紹介します。当時の万田坑の様子等を感じ取っていただけると幸いです。※随時更新予定です。

坑内回想記

 日によっては、坑内を1日に10km以上も徒歩で巡回し、各所に設置されている機械類の保守点検をすることもありました。異常のない限り基本的に単独行動であり、頼りになる唯一の親友は携帯無線機でした。すべての坑道にはアンテナ線が張り巡らされ、坑内での交信はある程度は不自由なくできていたので孤独感はあまりありませんでした。

 ただし、時折、坑内の湿度が90%以上にもなることや、電波の届かない状況になることもあり、暗闇の中に自分ただ一人と思うと、急に何ともいえない恐怖感が湧き上がってくることもありました。

 また、坑道(坑内のトンネル)は入気道(新鮮な空気を取り入れる坑道)と排気道(汚れた空気を外に出す坑道)とがあり、気温や気圧の差により幾重にも通気門が設けられ漏気のないような仕組みになっており、通り抜けるのも一苦労でした。

 加えて、坑道には岩盤に色々な種類の岩質が混在していて補強のための枠張りができない箇所もあり、岩肌むき出しの場所を通ると不気味な感じがして走って通り抜けたい気持ちになったことや、強度面での安全確保はされていたとはいえ、坑道の天井の岩盤にドリルで穴を開けてルーフボルト(鉄の楔を挟んだボルト)を打ち込み、それに重量のかさむものを吊り下げる時の恐怖感などは、今でも鮮明に覚えています。このように暗く、危険と背中合わせの坑道の仕事を終え、地上の光が遠くに見えると、全身の力が抜けたようにホッとした気持ちになったことが懐かしく思い出されます。

 

地底に棲む輩

 坑内には鼠(ねずみ)がたくさんいて、大方の鼠は隠れていましたが、中には休憩所で弁当を食べていると、匂いにつられて平気で目の前に現れる強者もいました。

 鼠は頭が良く、枠に釘を打って弁当を吊るしていると、包んでいる風呂敷を食い破って、弁当箱を下に落とし、中身を食べてしまっていることがありました。

 休憩所を移動すると鼠は先に来て待っていました。

 坑口(入り口)から人車やケージに乗って、斜坑や竪坑の坑底(到着点)に着くと、そこは「春夏秋冬」坑内温度が変わらないせいか、コオロギが1年中鳴いていました。

 

二坑櫓は見ていた~万田坑雑感

 私がこの山の麓に造られたのは、日露戦争が終わってからだった。明治41年のことだ。それから、いろんなことがあったなぁ・・・・・・。

 最初は蒸気で動いていた巻揚機も、大正と元号が替わった後には電気で動くようになった。そういえば、兄貴分の第一竪坑ヤグラは、当時としては最新式の「総鋼鉄製」だった。兄弟で鼻が高かったなぁ。

 ずらりと並んだ煙突からは、しじゅう煙が出ていたから、歌の文句じゃないけれど、さぞやお月さんも煙たかったことだろうて・・・・・・。

 当時は殖産興業たけなわで、ここから積み出された石炭が日本の重工業を支えていた。その石炭を掘るためにここで働く人たちも大勢いて、まわりの倉掛のまちにも元気があったよ。今「万田炭鉱館」が建っている場所には、武徳殿や万田講堂があって、その前の道は金受けの日には、ずらりと出店が並んだものさ。ヒトラーユーゲントがやって来たことや、そのあとに来た暗い時代も、もはや物語の中の一節になっちまったな。

 敗戦で何もかも一から出直さなきゃならなくなった時、ここで働く人たちが、この国の復興を支えたんだ。私はそんな人たちを一所懸命切羽へ、切羽へと送り込んだし、兄貴は石炭をどんどん揚げたものさ。

 兄貴分の第一竪坑ヤグラが、その役目を終えて解体されたのは昭和29年だった。三井三池で最初の総鋼鉄製ヤグラは、北海道の芦別で第二の人生を送ったと風の噂で聞いていたが、その兄貴も、もうスクラップになって久しい。

 私はそれからも、坑内の管理のため働き続けた。石炭産業の斜陽化が進む中、大争議、炭塵爆発と、第一線の現場ではさまざまなことが起こったが、ここはゆっくりした時が流れていた。

 そして、三井三池炭鉱が命旦夕に迫った平成8年9月、弟分の四山坑ヤグラが爆破解体された。東洋一を誇ったあいつもお払い箱になった・・・・・・次は私の番だ・・・・・・正直、そう覚悟していたが、私は国の重要文化財と史跡の指定を受け、生き残ることになった。

 私の周りの施設には、私が見てきた時代の痕跡が残っている。それは、ここで汗水たらして働いた人々の歴史でもある。荒尾のまちは私と共に育ち、年を取ってきた。私の周りの街並みにも、ここで暮らした人々の歴史が残っているのだ。

 私は、そんな『石炭産業』と『万田地域』の歴史の一証人として、静かに時代を語って行きたい。それが、全国の炭鉱施設の中でも幸運な形で生き残った私の使命でもあるのだから・・・・・・。

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