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三池(みいけ)炭鉱(たんこう)歴史(れきし)

公開(こうかい)():2010(ねん)5月(ごがつ)12(にち)

三池(みいけ)炭鉱(たんこう)文明(ぶんめい)元年(がんねん)(1469(ねん))に発見(はっけん)されたという伝承(でんしょう)があります。柳川(やながわ)(はん)家老(かろう)小野(おの)()(とおる)()6(ねん)(1721(ねん))から掘り(ほり)始め(はじめ)(おも)瀬戸内(せとうち)地方(ちほう)製塩(せいえん)(よう)燃料(ねんりょう)として販売(はんばい)されたという記録(きろく)残っ(のこっ)ています。

(ほん)炭鉱(たんこう)明治(めいじ)初期(しょき)政府(せいふ)直轄(ちょっかつ)する炭鉱(たんこう)となりました。以後(いご)近代(きんだい)(てき)手法(しゅほう)導入(どうにゅう)することで(だい)規模(きぼ)開発(かいはつ)され、わが国(わがくに)最大(さいだい)炭鉱(たんこう)へと飛躍(ひやく)発展(はってん)していきます。明治(めいじ)17(ねん)(1884(ねん))、その(さん)(いけ)にボストン工科(こうか)大学(だいがく)当時(とうじ)最新(さいしん)鉱山(こうざん)技術(ぎじゅつ)習得(しゅうとく)してきた(だん)琢磨(たくま)赴任(ふにん)してきたことは、その後(そのご)発展(はってん)拡大(かくだい)大きな(おおきな)影響(えいきょう)与える(あたえる)ことになります。

官営(かんえい)時代(じだい)開か(ひらか)れた(おも)坑口(こうこう)には、大浦(おおうら)(あな)七浦(ななうら)(あな)宮浦(みやのうら)(あな)があります。また、官営(かんえい)()掘り(ほり)始め(はじめ)られ、三井(みつい)払い下げ(はらいさげ)られた(のち)引き継が(ひきつが)れたものに(かち)立坑(たてこう)があります。

宮原坑(みやはらこう)万田坑(まんだこう)は、勝立(かつだち)(あな)次いで(ついで)三井(みつい)開い(ひらい)主力(しゅりょく)(あな)で、それぞれ明治(めいじ)後期(こうき)から大正(たいしょう)()大正(たいしょう)()から昭和(しょうわ)前期(ぜんき)活躍(かつやく)しています。万田坑(まんだこう)以降(いこう)開か(ひらか)れた主力(しゅりょく)(あな)としては四山(よつやま)(あな)三川(みかわ)(あな)有明(ありあけ)(あな)があり、わが国(わがくに)復興(ふっこう)大きな(おおきな)役目(やくめ)果たし(はたし)ました。しかし労働(ろうどう)争議(そうぎ)爆発(ばくはつ)事故(じこ)()て、エネルギー革命(かくめい)()には外国(がいこく)(すみ)との価格(かかく)()拡がっ(ひろがっ)たため経営(けいえい)厳し(きびし)さを増し(まし)ました。そして三井(みつい)三池(みいけ)炭鉱(たんこう)平成(へいせい)9(ねん)3月(さんがつ)閉山(へいざん)し、三井(みつい)経営(けいえい)108(ねん)官営(かんえい)()からは124(ねん)という近代(きんだい)炭鉱(たんこう)としての長い(ながい)歴史(れきし)(まく)下ろし(おろし)ました。

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