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万田坑(まんだこう)のお勧め(すすめ)ポイントを紹介(しょうかい)します

公開(こうかい)():2014(ねん)3月(さんがつ)31(にち)

万田坑(まんだこう)構内(こうない) 見所(みどころ)マップ

万田坑構内 見所マップ図 建物に番号が振られ、構内全体の配置がわかる画像です

 

1

(だい)()竪坑(たてこう)()

第二竪坑櫓の写真やはり、万田坑(まんだこう)のシンボル。保存(ほぞん)修理(しゅうり)により操業(そうぎょう)当時(とうじ)のように綺麗(きれい)になりました。

明治(めいじ)41(ねん)完成(かんせい)隣接(りんせつ)する(まき)(よう)()によりワイヤーが巻か(まか)れ、吊るさ(つるさ)れたケージ(昇降(しょうこう)(よう)エレベータ)が上下(じょうげ)していました。ケージは2つ吊り(つり)下げ(さげ)られ、一方(いっぽう)上がる(あがる)他方(たほう)下がる(さがる)つるべ(しき)となっていました。上部(じょうぶ)滑車(かっしゃ)(()(つる))が人員(じんいん)昇降(しょうこう)(よう)で、下部(かぶ)滑車(かっしゃ)資材(しざい)搬入(はんにゅう)(よう)でした。

(だい)()竪坑(たてこう)坑口(こうこう)

第二竪坑坑口の写真ここから坑内(こうない)降り(おり)ます。(だれ)もがたたずみ、見入っ(みいっ)てしまいます。

明治(めいじ)41(ねん)完成(かんせい)人員(じんいん)昇降(しょうこう)および排水(はいすい)排気(はいき)用途(ようと)として利用(りよう)され、石炭(せきたん)揚げ(あげ)ていません。昭和(しょうわ)26(ねん)閉坑以降(いこう)は、三池(みいけ)炭鉱(たんこう)坑内(こうない)維持(いじ)管理(かんり)(よう)として平成(へいせい)9(ねん)閉山(へいざん)()まで使用(しよう)されていました。竪坑(たてこう)(ふか)さは(やく)274mありましたが、閉山(へいざん)()選炭(せんたん)(じょう)土砂(どしゃ)により埋め立て(うめたて)られました。

 

2

屋外(おくがい)保管(ほかん)されているケージ

屋外に保管されているケージの写真地底(ちてい)への乗り物(のりもの)。25(にん)乗り(のり)でかなりきゅうくつです。

草むら(くさむら)(なか)にシートをかけられ保管(ほかん)されています。また、(まき)(よう)()(しつ)(みなみ)にも1つ保管(ほかん)されています。保管(ほかん)状態(じょうたい)不安(ふあん)もありますが、これらが()取り付け(とりつけ)られれば・・・・・。

 

3

三池(みいけ)炭鉱(たんこう)専用(せんよう)鉄道(てつどう)(しき)(あと)

三池炭鉱専用鉄道敷跡の写真万田(まんだ)(えき)(あと)残っ(のこっ)ていて、ここから宮原坑(みやはらこう)望め(のぞめ)ます。

三池(みいけ)炭鉱(たんこう)変遷(へんせん)読み解く(よみとく)貴重(きちょう)歴史(れきし)資源(しげん)高取山(たかとりさん)万田(まんだ)(さん)四山(よつやま)といった主要(しゅよう)丘陵(きゅうりょう)()山裾(やますそ)順次(じゅんじ)炭鉱(たんこう)開発(かいはつ)していた痕跡(こんせき)が、炭鉱(たんこう)専用(せんよう)鉄道(てつどう)(しき)(あと)には示さ(しめさ)れています。地域(ちいき)地形(ちけい)構造(こうぞう)沿っ(そっ)開発(かいはつ)で、大牟田(おおむた)荒尾(あらお)(りょう)()都市(とし)成り立ち(なりたち)をたどることができる路線(ろせん)です。

 

4

閉山(へいざん)()安全(あんぜん)燈室

閉山時の安全燈室の写真構内(こうない)作業(さぎょう)準備(じゅんび)様子(ようす)想像(そうぞう)できます。

この建物(たてもの)は、明治(めいじ)()隣接(りんせつ)する扇風機(せんぷうき)(しつ)関連(かんれん)する機械(きかい)(しつ)であったようで壁面(へきめん)多く(おおく)痕跡(こんせき)残っ(のこっ)ています。万田坑(まんだこう)建物(たてもの)(なか)でも最も(もっとも)古い(ふるい)ものの一つ(ひとつ)で、用途(ようと)変更(へんこう)頻繁(ひんぱん)行わ(おこなわ)れています。

昭和(しょうわ)26(ねん)の閉坑()三池(みいけ)炭鉱(たんこう)坑内(こうない)管理(かんり)のため安全(あんぜん)燈室として使用(しよう)されました。安全(あんぜん)燈(ヘルメットライト)の充電(じゅうでん)()現存(げんそん)しています。

閉山(へいざん)()浴室(よくしつ)

閉山時の浴室の写真ここでススを洗い流し(あらいながし)ました。

閉坑()浴室(よくしつ)として使わ(つかわ)れていました。全盛期(ぜんせいき)(だい)規模(きぼ)浴室(よくしつ)比べる(くらべる)とかなり小さい(ちいさい)が、当時(とうじ)様子(ようす)想像(そうぞう)できます。

 

5

閉山(へいざん)()事務所(じむしょ)内部(ないぶ)

閉山時の事務所内部の写真閉山(へいざん)()様子(ようす)がそのまま残り(のこり)、タイムスリップしたようです。

昭和(しょうわ)26(ねん)の閉坑()扇風機(せんぷうき)(しつ)から事務所(じむしょ)として用途(ようと)変わり(かわり)使用(しよう)されていました。湯呑み(ゆのみ)やロッカー、カレンダーなどそのままの状態(じょうたい)残っ(のこっ)ています。

閉山時の事務所 階段、廊下の写真大正(たいしょう)3(ねん)(ごろ)建物(たてもの)で、当初(とうしょ)巨大(きょだい)扇風機(せんぷうき)置か(おか)れた扇風機(せんぷうき)(しつ)でした。そのころは、この建物(たてもの)北側(きたがわ)安全(あんぜん)燈室、事務所(じむしょ)隣接(りんせつ)しており、その痕跡(こんせき)西側(にしがわ)壁面(へきめん)残っ(のこっ)ています。また、南側(みなみがわ)壁面(へきめん)には向かい(むかい)のポンプ(しつ)および倉庫(そうこ)繋がっ(つながっ)痕跡(こんせき)見て取れ(みてとれ)ます。

事務所(じむしょ)(ない)には入れ(いれ)ません。

 

6

閉山(へいざん)()のポンプ(しつ)倉庫(そうこ)

閉山時のポンプ室、倉庫の写真坑内(こうない)排水(はいすい)(よう)のポンプが置か(おか)れていました。現在(げんざい)地下(ちか)に灌漑用水(ようすい)(そう)があります。

全盛期(ぜんせいき)(明治(めいじ)38(ねん)大正(たいしょう)3(ねん)(ごろ))、ここは坑内(こうない)換気(かんき)行う(おこなう)巨大(きょだい)扇風機(せんぷうき)置か(おか)れていました。現在(げんざい)扇風機(せんぷうき)痕跡(こんせき)やレンガ造り(づくり)排気(はいき)(よう)煙突(えんとつ)残っ(のこっ)ています。現在(げんざい)38(ねん)完成(かんせい)建物(たてもの)最も(もっとも)古い(ふるい)建物(たてもの)の1つです。

※ポンプ(しつ)(ない)には入れ(いれ)ません。

 

7

工作(こうさく)機械(きかい)満載(まんさい)職場(しょくば)

工作機械が満載の職場の写真(きた)外れ(はずれ)にあり、ちょっと見落とし(みおとし)がち。かつて職場(しょくば)呼ば(よば)れ、万田坑(まんだこう)のメンテナンスを行っ(おこなっ)ていました。

昭和(しょうわ)初期(しょき)建物(たてもの)現在(げんざい)屋根(やね)一部(いちぶ)落ち(おち)てしまっていますが、内部(ないぶ)には万田坑(まんだこう)(うち)機械(きかい)設備(せつび)修理(しゅうり)する工作(こうさく)機械(きかい)が、数多く(かずおおく)残っ(のこっ)ています。

 

8

かつての脱衣(だつい)(しょ)事務所(じむしょ)結ぶ(むすぶ)通路(つうろ)痕跡(こんせき)

かつての脱衣所と事務所を結ぶ通路の痕跡の写真かつて、このあたりには、(さくら)並木(なみき)がありました。

構内(こうない)(がわ)からの写真(しゃしん)

脱衣(だつい)(じょう)通り(とおり)、ここから事務(じむ)(しつ)繰り込み(くりこみ)(じょう)安全(あんぜん)燈室を()坑内(こうない)作業(さぎょう)向かっ(むかっ)ていたようです。このような構内(こうない)様子(ようす)探る(さぐる)貴重(きちょう)手掛かり(てがかり)です。

 

9

大牟田(おおむた)とつながる当時(とうじ)生活(せいかつ)通路(つうろ)(地下(ちか)通路(つうろ))

大牟田とつながる当時の生活通路(地下通路)の写真通称(つうしょう)(さくら)(まち)トンネル。トップライトがありちょっと()空間(くうかん)

昭和(しょうわ)8(ねん)(ごろ)設置(せっち)されました。荒尾(あらお)()(がわ)から万田(まんだ)(えき)利用(りよう)でき、大牟田(おおむた)()(がわ)から万田坑(まんだこう)倉掛(くらかけ)商店(しょうてん)(がい)(とう)施設(しせつ)利用(りよう)できるように設け(もうけ)られたといわれています。(すう)(ねん)(まえ)まで使わ(つかわ)れていましたが、現在(げんざい)安全(あんぜん)(せい)確保(かくほ)のため、閉鎖(へいさ)されています。

 

10

正門(せいもん)

旧正門跡と現在の正門の写真現在(げんざい)正門(せいもん)(わき)表札(ひょうさつ)。なぜか()になってしまいます。

全盛期(ぜんせいき)正門(せいもん)手前(てまえ)門柱(もんちゅう)位置(いち)。この正門(せいもん)通り(とおり)右側(みぎがわ)にあった脱衣(だつい)(じょう)呼ば(よば)れていた大きな(おおきな)建物(たてもの)通り(とおり)構内(こうない)入っ(はいっ)ていきました。

(きゅう)正門(せいもん)手前(てまえ)右側(みぎがわ)のバリケードは(さくら)(まち)トンネルの入口(いりぐち)

(おく)見える(みえる)のが現在(げんざい)正門(せいもん)です。

 

11

山ノ神(やまのかみ)  

山ノ神の写真やまの守り神(まもりがみ)万田坑(まんだこう)働く(はたらく)人達(ひとたち)安全(あんぜん)見守っ(みまもっ)てきました。

坑内(こうない)降りる(おりる)作業(さぎょう)(いん)は、必ず(かならず)入坑(にゅうこう)(まえ)安全(あんぜん)祈願(きがん)していました。

(いし)(ほこら)(せきし)が大正(たいしょう)5(ねん)灯ろう(とうろう)大正(たいしょう)6・7(ねん)花立て(はなたて)大正(たいしょう)15(ねん)狛犬(こまいぬ)賽銭(さいせん)(ばこ)昭和(しょうわ)5(ねん)のものです。

 

12

炭鉱(たんこう)マンの(いのち)支え(ささえ)(まき)(よう)()とワイヤー

炭鉱マンの命を支えた巻揚機とワイヤーの写真炭鉱(たんこう)マンの(いのち)支え(ささえ)続け(つづけ)ました!

中2(ちゅうに)(かい)にある機械(きかい)は、資材(しざい)巻き上げ(まきあげ)(よう)のウインチ。2(かい)にある機械(きかい)人員(じんいん)昇降(しょうこう)させるケージを巻き上げる(まきあげる)ものです。内部(ないぶ)壁面(へきめん)には、機械(きかい)仕様(しよう)信号(しんごう)(合図(あいず))、操作(そうさ)(じょう)注意(ちゅうい)事項(じこう)(とう)貼っ(はっ)てあり、当時(とうじ)雰囲気(ふんいき)伝わっ(つたわっ)てきます。

 

13

(だい)()竪坑(たてこう)  

第二竪坑 全体像の写真 (あか)煉瓦(れんが)印象(いんしょう)(てき)です。このあたりが、(だい)()竪坑(たてこう)()(まき)(よう)()(しつ)美しく(うつくしく)見える(みえる)ベストポイント。

()明治(めいじ)41(ねん)完成(かんせい)(たか)さは18.8m。(まき)(よう)()(しつ)明治(めいじ)42(ねん)完成(かんせい)煉瓦(れんが)(みやつこ)2(かい)建て(だて)となっています。


第二竪坑 遠景の写真

 

14

(だい)活躍(かつやく)したシンボル。煙突(えんとつ)と汽罐(じょう)(あと)

大活躍したシンボル。煙突と汽罐場跡の写真煙突(えんとつ)基礎(きそ)と汽罐(じょう)小さな(ちいさな)煉瓦(れんが)(みやつこ)(かべ)残っ(のこっ)ています。

汽罐(じょう)石炭(せきたん)燃やし(もやし)蒸気(じょうき)発生(はっせい)させ、万田坑(まんだこう)(かく)施設(しせつ)供給(きょうきゅう)していました。現存(げんそん)する(かべ)は、明治(めいじ)()のもの。建物(たてもの)並行(へいこう)して2(ほん)煉瓦(れんが)(みやつこ)煙突(えんとつ)がそびえていました。全盛期(ぜんせいき)(昭和(しょうわ)初期(しょき)まで)は、汽罐(じょう)が3(むね)あり、煙突(えんとつ)も5(ほん)ありました。

 

15

レールの(うえ)にポツンと残る(のこる)(すみ)がん

レールの上にポツンと残る炭がんの写真なぜかこの風景(ふうけい)魅せ(みせ)られてしまいます。「今昔(こんじゃく)・・・・・」

(すみ)がんは石炭(せきたん)運搬(うんぱん)する炭車(たんしゃ)のことです。(写真(しゃしん)(あな)(がい)にある台車(だいしゃ))

 

16 

(だい)(いち)竪坑(たてこう)()巨大(きょだい)なコンクリート基礎(きそ)

第一竪坑櫓の巨大なコンクリート基礎の写真(だい)()竪坑(たてこう)()(やく)2(ばい)大き(おおき)さだったことが想像(そうぞう)できますか?

このコンクリート基礎(きそ)(うえ)(たか)さ30.7mの()建っ(たっ)ていました。当時(とうじ)東洋(とうよう)(いち)(たか)さと呼ば(よば)れていました。昭和(しょうわ)29(ねん)北海道(ほっかいどう)芦別(あしべつ)炭鉱(たんこう)(だい)(いち)竪坑(たてこう)移築(いちく)され、(さい)利用(りよう)されましたが、現存(げんそん)していません。

 

17 

(いま)開口(かいこう)する(だい)(いち)竪坑(たてこう)(ぐち)

今も開口する第一竪坑口の写真竪坑(たてこう)(ふか)さ273mは、横浜(よこはま)ランドマークタワーとほぼ同じ(おなじ)(たか)さ。そばに立つ(たつ)(あし)がすくみます。

(だい)(いち)竪坑(たてこう)は、直接(ちょくせつ)石炭(せきたん)採掘(さいくつ)していた施設(しせつ)で、昭和(しょうわ)26(ねん)の閉坑以前(いぜん)中心(ちゅうしん)施設(しせつ)です。(だい)(いち)竪坑(たてこう)周辺(しゅうへん)施設(しせつ)は、閉坑()ほとんど取り壊さ(とりこわさ)れていますが、坑口(こうこう)坑内(こうない)吸気(きゅうき)(どう)確保(かくほ)のため、現在(げんざい)開口(かいこう)しています。寒い(さむい)()は、地熱(ちねつ)関係(かんけい)蒸気(じょうき)上がっ(あがっ)ているのが見え(みえ)ます。

今も開口する第一竪坑口 草に覆われた坑口の様子の写真

 

18

ちょっと高台(たかだい)選炭(せんたん)(じょう)(あと)

ちょっと高台の選炭場跡の写真(なつ)雑草(ざっそう)で、樹海(じゅかい)のように覆わ(おおわ)れてしまいました。

(だい)(いち)竪坑(たてこう)から採炭(さいたん)された石炭(せきたん)選炭(せんたん)運搬(うんぱん)する施設(しせつ)がありました。選別(せんべつ)された石炭(せきたん)は、炭鉱(たんこう)鉄道(てつどう)三池(みいけ)(こう)直接(ちょくせつ)運ば(はこば)れました。閉山(へいざん)()(だい)()竪坑(たてこう)(ない)埋める(うめる)ため、選炭(せんたん)(じょう)削っ(けずっ)たので現在(げんざい)(たか)さになりました。地下(ちか)には(だい)(いち)(だい)()(あな)結ぶ(むすぶ)トンネルがあります。

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