熊本県指定史跡(昭和48年8月27日指定)
見学無料
宮崎家の遠祖が荒尾村へ初めて姿を現すのは遠く正保4年(1647)と伝えられています。反骨精神のたくましい宮崎家は村人を博く愛し、旦那と尊敬される名望家でした。父政賢は天性の自由を愛し、名利を憎み、母佐喜も同情心が強く、また教育熱心であり、「畳の上に死するは男子何よりの恥辱」と子どもたちに教えたといわれています。
清朝打倒、共和制樹立の革命運動に奔走していた亡命中の孫文は滔天にかくまわれ、この家で数日を過ごしています。滔天との筆談の様子を再現した人形や彼が親しんだ梅の古木、滔天がシャムから持ち帰った菩提樹などが当時を偲ばせてくれます。
民蔵の没後、生家は永く人手に渡っていましたが、平成4年に市制50周年を迎えた荒尾市が宮崎兄弟生家の復元整備と資料館の建設を行い、中国との友好・交流のシンボル施設として平成5年6月に開館しました。
孫文、宮崎家訪問時を再現した写真
生家内の様子の写真
庭園の写真
菩提樹の写真
